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ふりがなをつけるCさんのサービス利用経過
名身連第一ワークス・第一デイサービス生活介護(生産活動なし)
→生活介護(生産活動あり)→就労継続支援B型
→就労移行→名身連相談事業所
Cさんは地元の中学校卒業後、特別支援学校の高等部を卒業しました。Cさんは、一般就労して、自立したいといという夢を持っていました。それまで地元のコンビニやレンタルショップに一人で行くことはありましたが、介助が必要な場面が多かったので、公共交通機関を利用して一人で外出する機会がありませんでした。一般就労の夢をかなえる第一歩として、まず一人で通勤できるよう、名身連まで市バスで通所することになりました。当初はヘルパーさんに同行してもらいましたが、ある程度慣れたので一人で通うことにしました。雨の日でも車椅子用のカッパを着用し、休むことなく毎日一人で通所しました。このころの彼は、生活介護(生産活動なし)で創作活動に取り組む毎日。人前に出ることにも臆さず、新春パーティーの司会を担当するなど意欲的でした。
一人通所も順調で、体力もついてきたので、Cさんは生活介護(生産活動あり)に移って軽作業のプログラムに取り組むことになりました。創作活動にくらべると、集中して作業を行なわなければなりません。最初は疲れましたが、こちらにも少しずつ慣れ、自ら工夫して作業に取り組むことができるようになりました。トヨタコミュニケーションシステムのPCクリーニング作業など、誇りをもてる仕事にもかかわり、働くことが楽しくなりました。また同じ生活介護(生産活動あり)から継続Bに変わった利用者を目の当たりにして、「もっとがんばらないといけない」と、より就職への思いが強くなりました。
Cさんは自分もステップアップしたいと職員に相談し、就労継続B型に行く準備を開始しました。就労継続B型は生活介護より働く時間が長くなり、また利用者さんの年代も様々でCさんより年上の人も多く、職場での言動や仕事の指示の受け方など、アルバイトや就労経験がなかったCさんにとっては初めて一般就労に近い環境に身を置くことになりました。その一方で、自分に合う職種を絞り込んだり、通勤できる範囲を考えたり、どのような働き方をしたいかなど、求職活動前の準備も念入りに行いました。その結果、通勤範囲は自宅から30分程度のところで、事務系の作業をしたい、と自分の希望をはっきり意識できるようになりました。このように働くための下地も整ったところで、就労移行に移り求職活動を開始することに。
就労移行では、事務職への就職に向けパソコンのプライベートレッスンを行いました。講師として、クリーニング作業のときにもお世話になったトヨタコミュニケーションシステムの専門のスタッフが来てくださり、Cさんのレベルに合わせた独自のプログラムを組んで研修を実施しました。その成果が出てパソコンのスキルが上がり、難しい表計算もこなせるほどに。ご本人にも自信がついたので、職安に登録。早速求職活動を開始しました。
しかし実際求職してみると、トイレに若干の介助が必要ということでなかなか受け入れてくれる事業所がありませんでした。Cさんが受けてみたいと決めた事業所に、ハローワークから連絡していただくのですが、あらかじめトイレ介助が必要な方と伝えると、申し込みそのものをお断りという会社が10社以上。また面接にこぎつけても、職場内でトイレの補助をお願いしたいという話になると、結局就職することが叶いませんでした。
面接を受けてみて、Cさんは、介助をしてもらいながらの就職が難しいことを知りました。当初、在宅就労を希望していませんでしたが、トイレ介助の問題をクリアするために在宅就労の道を選んだのです。仕事のある日のCさんの日課ですが、朝9時に職場に連絡して、仕事を開始します。12時から13時までの昼休憩の時間に食事やトイレを済ませます。その間はヘルパーさんに自宅に来てもらい身体介助を受けます。休憩が終わると、午後は16時まで再び仕事に励みます。在宅ですが、家の中にこもりがちにならないように仕事以外は積極的に外に出るようになりました。
就職という夢を実現したCさんはさらに自信がもてるようになりました。障害者関係の大きなイベントで300人程の観客を前に司会をつとめるなど、公私にわたり積極的に活動しています。
イラスト協力@愛知淑徳大学 創造表現学部創造表現学科1年 口谷 優里菜 さん
「僕は車を走らせることはあっても、新幹線に乗ることがほとんどなかった。東京まで乗ったことはあったが、西に…九州に行ってみたかった。」
Jさん(男性・73歳)は左下肢が不自由で、二本の杖をついて重い脚をひきずるようにゆっくり歩行します。段差はとても辛い。高齢になり、最近は特に外出が困難だと感じています。それでも、地元の身障協会や名身連の役員を歴任し、障害のある人たちのために長年働いてきました。
会社勤めの頃には慰安旅行、その後は身障団体の旅行でバスツアーに参加したことはありましたが、ゆっくりとしか歩けないので、みんなについて行くのがとても大変だったと言います。
会社を定年退職して13年経った平成27年秋、Jさんはようやく、自分の楽しみのためだけの旅をしようと決意して、名身連旅行センターを訪れました。九州まで新幹線に乗るだけでいいと思っていましたが、せっかくなので気のおけない人と二人連れ立って、九州の名湯、別府温泉まで足を延ばしてみることにしました。旅行センターでご要望を伺い、交通や宿のプランを立てました。
「九州は大きい。何もかも壮大です。写真で見るのとは違う。最初で最後と思って出かけたけれど、行ってみて本当に良かった。何でも一回やってみないといけませんね。」
大分県では観光タクシーを頼み、マイペースでゆったりと、九重”夢”大吊橋や湯布院、別府地獄めぐりなどを観光しました。現地で撮った写真を一緒に見せていただきながら、旅の感想を伺っているうちに、だんだんJさんの口もとがほころび、こんな思い出話もして下さいました。
「昭和53年ごろ、友人の自家用車に乗せてもらって九州を一周したことがある。その旅がきっかけで、もう若くなかったが、自動車の免許を取得した。以来、自分でハンドルを握って近くの山々にドライブするようになった。」
普段お話ししているだけでは気づきませんでしたが、Jさんは雄大な風景を求めて自由に動きたいと思っていらっしゃるのです。旅の話をしているときは、遠い地に心をはせ、生き生きとした表情になります。
イラスト協力 ©愛知淑徳大学
今回の旅にも、ちょっとしたトラブルはありました。新幹線の指定席は扉やトイレに近いところに予約したのですが、駅員さんが車両の反対側の乗り口に案内してしまったため、通路をはしからはしまで歩かなければならなかったそうです。それでも座ってしまえば快適で、あっという間に九州に着いてしまって驚いた、とおっしゃっていました。人についていかなければならないツアーと違い、観光タクシーを使って自分のペースでゆっくりなら旅が楽しめる。Jさんはそのことに気づき、自信をもつことができたようです。
(トップページの写真:帰途に就く前に別府駅で撮影。Jさんはこの写真で今回の作品展に応募されています。)