名身連物語

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  • 年に一度のごあいさつ…一般就労をして20年になるHさん

    2018年11月13日 働く
    Hさん 元第二ワークス利用者 50代男性 肢体障害
    年に一度のごあいさつ…一般就労をして20年になるHさん


     平成4年、名身連第二ワークスがオープンして間もないある日のことでした。障害のある男性とそのお母さんが、突然、名身連福祉センターを訪れました。その男性、Hさんには脳性小児まひの障害があり、地域の特別支援学校を卒業した後、いったん地元のスーパーに就職したものの退職し、自宅で生活しているとのことでした。家にひきこもりがちになっていたのを心配したお母さんに誘われて出かけてきたところ、たまたまオープンしたばかりの名身連福祉センターが目に留まり、立ち寄られたのです。
     お母さんは、Hさんにどこかに就職してほしいという気持ちでしたが、ご本人は、それまでの一般就労での経験のためか「今は就職する気にならない」と言われます。まずは家から外に出ることを目標にしてはどうかと施設利用を提案したところ、ご本人も通所してみようという気持ちになり、第二ワークスの利用を開始されました。

     名身連第二ワークスでは、当時お菓子の箱を折って組み立てる仕事を請け負っていました。Hさんは手指機能にも障害があり、細かい作業が苦手でした。そのため箱を折る仕事ではなく、結束した箱を数えて台車で運ぶ納品や、資材の受け取りを担当しました。初めは台車の使い方や業者さんとのやりとりなど、上手くいかないこともありました。それでも問題が起こるたび、職員と一緒に解決方法を考え実行していくなかで、少しずつ自信がついていきました。 最終的には納品のリーダーとして、責任を持ちながら、生き生きと仕事に取り組むようになりました。時が経ってご本人の希望をもう一度聞き取りしたとき、ようやくHさんの口から「就職したい」という言葉が出てきました。

     就職を目ざす気持ちになったHさんは職員と一緒に職業安定所に登録に行き、相談しました。けれども就職活動は難航します。今でこそ障害者の就労支援は熱心に行われていますが、平成7年当時は福祉施設からの一般就労は滅多にないことでした。またHさんには脳性まひによる不随意運動や言語障害があり、見た目だけで仕事が出来ないと判断されてしまうことがありました。企業の担当者や職業安定所の職員はそうした事情から、Hさんの就職は厳しいと考えたのです。一方でHさん自身が思い描く就労も「大企業で正社員」というパターンだけで、自分の働く姿を具体的にイメージできていませんでした。

     改めてHさんに働くうえでの希望を訊いたところ、「10万円は稼ぎたい」と言われました。職業安定所の人と相談して、その給料で雇ってくれる企業の紹介を受け、職場実習を計画しました。この時点で既に何社も採用試験を落ちていたため、Hさんも「10万円もらえるなら」とすぐに話を受けました。
    実際に面接に伺った事業所では10万円の給料で雇えると言っていただきましたが、仕事の内容が屠殺された牛の皮の運搬で、とても過酷なものでした。
     ただ、これまでの企業ではHさんに障害があるということで、最初から仕事は難しいと判断し面接さえしていただけませんでしたが、この事業所の方は、「障害の有無より、仕事ができるかどうかで判断したい。」と実習の機会を設けていただきました。その時、Hさんと支援していた職員は、このような事業所があることを知りとても喜び、これまでのもやもやしていた状況に少し光が差したような気がしました。しかし、実際に作業を行なってみるととても大変でした。

     Hさんも仕事を選ぶ際には、給与だけでなく仕事の内容も自分に合っているかどうかが大切だということがわかりました。その結果、この仕事に就くことを断念したHさんは、「10万円」にこだわらず自分に合った仕事を探そうと方針を変えました。


     方針を変えたものの、Hさんは相変わらず求職活動に苦戦していました。ちょうどその頃、スーパーヤマナカから名身連に依頼が入りました。松原店(中区)がオープンするにあたり、従業員にバリアフリー研修をしてほしいというものです。お店や企業のバリアフリー研修は今でもそんなに盛んではありませんが、当時の松原店店長さんの先進的発案で、オープン時職員研修が企画されたのです。
     そのご縁を頼って、松原店店長さんにHさんの職場実習をお願いしてみました。最初はさすがに店長さんも実習受け入れを不安に感じていらっしゃるようでしたが、職員が同行して一緒に作業するという条件をお出ししたところ、それならと引き受けてくださいました。
     そしていざ実習を始めてみると、Hさんがきちんと仕事のできる人だとわかっていただくことができ、雇用について前向きに検討していただけることになりました。各部門のチーフが集まって真剣にHさんの配属先を考えてくださった結果、グロッサリー部門で店頭への商品の品だしを担当することに決まりました。品だし作業のほかにもお客様から問い合わせがあった際の対応など、Hさんに懇切丁寧にご指導くださったおかげで、無事就職を果たすことができました。


     Hさんが仕事に通うようになってから、店頭で品だしをしている様子を見かけたお客様からお店に励ましの言葉が届いたり、同僚の皆さんが優しく声をかけてくださったりと、職場全体が温かい雰囲気になっていきました。またヤマナカの企業全体でも先進的な取り組みとして紹介されるなど、Hさんもお店も良い評判を受けるようになりました。

      あれから20年経ちます。Hさんは毎年11月に第二ワークスで年賀状印刷の注文が始まると、必ず福祉センターを訪れて年賀状を注文してくれます。通所当時の職員は少なくなり、第二ワークスも制度変更にともなって「名身連第二ワークス・第二デイサービス」と名称が変わりましたが、Hさんは年に一度のごあいさつ・・・という感じで、変わらず元気な顔を見せてくれます。そしてご自分のお仕事や職場の近況を教えてくださいます。その背中は、今通所している人たちの憧れであり目標であり、とても大きく見えるのです。

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  • 思いがけない転機~「新人くん」から中堅職員へ~

    2017年3月9日 働く
    名身連旅行センター職員・Eさん 名身連職員
    思いがけない転機~「新人くん」から中堅職員へ~

    Eさん(男性・28歳)が初めて名身連の名前を知ったのは、4年前就職フェアに足を運んだ時。何だか心惹かれて、気がつくとそのブースに座り込んで担当者にいろいろ質問していたそうです。初対面の人と話すときには緊張して、何をしゃべっていいか分からなくなってしまう彼にしては珍しいことでした。

    スーツを着て緊張顔の若い男性Eさんが、名身連と書かれたブースで女性職員と向かい合って、一生懸命話そうとしている
     

    採用試験の結果、みごと正職員として採用されたものの、福祉の仕事は初めて。いったい何をどうしていいやら、なかなか要領がつかめません。障害者施設の現場は日々大忙し。てきぱき動く先輩職員たちをしり目に、新人Eさんは日常業務を覚えるだけで精一杯でした。仕事でミスをしては、「ごめんなさい」と頭を下げることもたびたび。でも、器用ではないなりに一生懸命取り組む姿に、不思議と手が差し伸べられるのです。同期で入った職員ともすっかり打ち解け、部署が離れていても仕事上のアドバイスを受けたり、新しい企画の相談相手になってもらったり。Eさんを中心に何となく人の輪ができあがってゆきます。

    ファイルを胸に抱え、汗をかき、困った顔をして一生懸命仕事をしているEさん 若い男性の同僚3人と、笑顔で話しているEさん
     

    そんな彼にとって大きな転機が訪れたのは2年前。名身連が収益事業として運営している旅行センターの担当として、事務局に異動になったのです。旅行業務取扱管理者という資格をもっていたからなのですが、実務は初めて。最初はホテルやレストランに電話ひとつかけるのにもドキドキして、一度に全部の用を済ませることができず、何度もかけ直したりしました。手配も、打ち合わせも、他の職員と相談しながら、手伝ってもらいながら、とにかく必死にこなすだけでした。当事者団体の旅行センターだけあって、障害者の全国大会の手配など大きな仕事も入り、業務量はどんどん増えました。
    そのかたわら名身連の職員研修やQC活動などに参加して研鑚を積み、プライベートでは福祉の資格取得のための勉強も始め、毎日が飛ぶように過ぎていきました。ひとつ仕事の山を越えるたびに、ほ~っと息をつくと同時に、たくさんの学びを得て、次に活かしたEさん。障害のあるお客様と毎日かかわるうちに、苦手だったコミュニケーションもうまくとれるようになっていました。旅行センターのオリジナルツアーの企画も軌道にのせ、たくさんのお得意様ができ、手ごたえとやりがいを感じるようになってきたこの頃なのです。

    山積みの書類の横で、電話しているEさん…カット②よりしっかりした顔 ・ツアーの旗を持ってバスの横でにこにこしているEさんとツアーのお客(車いす)
     

    先日、名身連の入社式で先輩職員としてのスピーチをしました。そのなかでEさんは、「名身連では必ず仕事のフォローをしてもらえるので、頑張ることができます。みなさんも名身連でさまざまなことにチャレンジしてください」と、後に続く人たちにエールを贈りました。「新人くん」はすっかり中堅職員へと成長し、これからもチャレンジの毎日です。

    演台の前で堂々としたようすでスピーチしているEさん 手前にスーツ姿で着席している男女の新入職員の後ろ姿

    イラスト協力@愛知淑徳大学 創造表現学部 学生さん

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  • 介助が必要でも働ける~ステップアップしながら、在宅就労を実現~

    2016年9月18日 働く
    Cさん 20代 脳性まひ
    介助が必要でも働ける~ステップアップしながら、在宅就労を実現~

    Cさんのサービス利用経過

    名身連第一ワークス・第一デイサービス生活介護(生産活動なし)
    →生活介護(生産活動あり)
    →就労継続支援B型
    →就労移行→名身連相談事業所

    Cさんは地元の中学校卒業後、特別支援学校の高等部を卒業しました。Cさんは、一般就労して、自立したいといという夢を持っていました。それまで地元のコンビニやレンタルショップに一人で行くことはありましたが、介助が必要な場面が多かったので、公共交通機関を利用して一人で外出する機会がありませんでした。一般就労の夢をかなえる第一歩として、まず一人で通勤できるよう、名身連まで市バスで通所することになりました。当初はヘルパーさんに同行してもらいましたが、ある程度慣れたので一人で通うことにしました。雨の日でも車椅子用のカッパを着用し、休むことなく毎日一人で通所しました。このころの彼は、生活介護(生産活動なし)で創作活動に取り組む毎日。人前に出ることにも臆さず、新春パーティーの司会を担当するなど意欲的でした。
    Cさんが、雨の中車椅子用のカッパを着てバスで通所している様子

    一人通所も順調で、体力もついてきたので、Cさんは生活介護(生産活動あり)に移って軽作業のプログラムに取り組むことになりました。創作活動にくらべると、集中して作業を行なわなければなりません。最初は疲れましたが、こちらにも少しずつ慣れ、自ら工夫して作業に取り組むことができるようになりました。トヨタコミュニケーションシステムのPCクリーニング作業など、誇りをもてる仕事にもかかわり、働くことが楽しくなりました。また同じ生活介護(生産活動あり)から継続Bに変わった利用者を目の当たりにして、「もっとがんばらないといけない」と、より就職への思いが強くなりました。

    Cさんは自分もステップアップしたいと職員に相談し、就労継続B型に行く準備を開始しました。就労継続B型は生活介護より働く時間が長くなり、また利用者さんの年代も様々でCさんより年上の人も多く、職場での言動や仕事の指示の受け方など、アルバイトや就労経験がなかったCさんにとっては初めて一般就労に近い環境に身を置くことになりました。その一方で、自分に合う職種を絞り込んだり、通勤できる範囲を考えたり、どのような働き方をしたいかなど、求職活動前の準備も念入りに行いました。その結果、通勤範囲は自宅から30分程度のところで、事務系の作業をしたい、と自分の希望をはっきり意識できるようになりました。このように働くための下地も整ったところで、就労移行に移り求職活動を開始することに。
    Cさん(車椅子)が、年長者に囲まれて作業している様子

    就労移行では、事務職への就職に向けパソコンのプライベートレッスンを行いました。講師として、クリーニング作業のときにもお世話になったトヨタコミュニケーションシステムの専門のスタッフが来てくださり、Cさんのレベルに合わせた独自のプログラムを組んで研修を実施しました。その成果が出てパソコンのスキルが上がり、難しい表計算もこなせるほどに。ご本人にも自信がついたので、職安に登録。早速求職活動を開始しました。

    しかし実際求職してみると、トイレに若干の介助が必要ということでなかなか受け入れてくれる事業所がありませんでした。Cさんが受けてみたいと決めた事業所に、ハローワークから連絡していただくのですが、あらかじめトイレ介助が必要な方と伝えると、申し込みそのものをお断りという会社が10社以上。また面接にこぎつけても、職場内でトイレの補助をお願いしたいという話になると、結局就職することが叶いませんでした。
    Cさん(車椅子)が、就職面接している様子。担当者は、少し渋い表情をしている。 Cさんは、の表情は少し曇り気味

    面接を受けてみて、Cさんは、介助をしてもらいながらの就職が難しいことを知りました。当初、在宅就労を希望していませんでしたが、トイレ介助の問題をクリアするために在宅就労の道を選んだのです。仕事のある日のCさんの日課ですが、朝9時に職場に連絡して、仕事を開始します。12時から13時までの昼休憩の時間に食事やトイレを済ませます。その間はヘルパーさんに自宅に来てもらい身体介助を受けます。休憩が終わると、午後は16時まで再び仕事に励みます。在宅ですが、家の中にこもりがちにならないように仕事以外は積極的に外に出るようになりました。

    就職という夢を実現したCさんはさらに自信がもてるようになりました。障害者関係の大きなイベントで300人程の観客を前に司会をつとめるなど、公私にわたり積極的に活動しています。
    多くの人の前で司会を担当し自信にあふれるCさん
    イラスト協力@愛知淑徳大学 創造表現学部創造表現学科1年 口谷 優里菜 さん

     

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