名身連物語

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  • 40代で中途障害に…まだ、まだやれることはある~新たな人生に向けてのスタート~

    2017年3月9日 自立・活動・交流
    Dさん40代 脳血管障害
    40代で中途障害に…まだ、まだやれることはある~新たな人生に向けてのスタート~

    名身連第二ワークス・第二デイサービス生産活動(生産活動あり)→就労継続B型

    Dさんはかつて熱血営業マンでした。1年のうち300日は飛行機や車で出張しており、たまにしか自宅に戻らない日々。一人暮らしで生活も不規則になりがちでしたが、病気をしたことはなく、さほど健康に気を使わず過ごしていました。

    Dさんが、バリバリ働いている様子
     

    そんなDさんでしたが、あるとき出張先の東北から名古屋に帰る飛行機の中で意識を失いました。脳出血でした。飛行機がまだ離陸していなかったことが幸いし、そのまま仙台市内の病院に運ばれました。救急車の中で、救急隊員に声をかけられたことまでは覚えていたDさんですが、次に意識が戻った時には病院のベッドの上でした。鼻には管が入っていて息苦しく、言葉が上手く出てきません。おまけにベッドから落ちる危険があったため体がベルトで固定されていました。それでもお医者さんはDさんにこう告げたのです。
    「飛行機が離陸して空の上であれば、気圧が下がっていてもっと出血がひどかったかもしれない。また車の運転中であれば事故を起こしていたかもしれない。どちらにしても命を落としていただろう」と。
    その時Dさんは、拾った命をこれからは大切にしようと思いました。

    Dさんが、救急車で運ばれる様子。または、ベッドの上に点滴をうたれ寝ている様子
     

    二週間後には仙台市内の病院を退院して名古屋に戻り、2回の転院をした後、リハビリ施設で生活訓練を行なうことになりました。言語障害も少しずつ回復し、日常会話をすることにも慣れてきました。しかし以前のような働き方をすることは難しく、退職することになりました。それまでの生活を一新し、一人暮らしを再開するための家探しもしました。
    新しい生活に慣れ、障害年金で経済的にもなんとか暮らしていけるようになったDさんですが、自宅でボーッとする時間が増えてきました。介護保険施設の利用も考えましたが、Dさんはまだ40代。70代以上の利用者さんが多い介護施設では、話の合う人がなく、通う気になれませんでした。
    「自分は何をしているのだろう」「このまま社会から取り残されるのだろうか…」
    Dさんは、とても不安になりました。

    Dさんが、不安な表情で社会から孤立している様子
     

    訓練施設で一緒だった40代の仲間が障害者福祉施設で働いている、と聞いたのはそんな時でした。その人も元は運転手としてバリバリ働いていましたが、福祉施設では全く別の仕事を得て、生き生きと働いていました。その人からの勧めもあって、Dさんは自ら、名身連の施設に電話をかけました。見学に行ってみると、自分と同じような障害の人も、もっと若い人も、それぞれの仕事をもって働いていました。その様子を見て、「これなら自分にもできるかもしれない」と思い、施設に通うための通所訓練を始めました。
    その成果もあり、現在は一人で地下鉄を乗り継いで、週5日休むことなく、雨の日も車椅子用のカッパを着用して通所しています。
    当初は通所の疲労もあり生活介護(生産活動あり)に所属していましたが、通所にも慣れ、働く意欲が高まったところでステップアップし、就労継続支援B型に通うようになりました。今ではチームで行なう仕事を任され、リーダーとして生き生きと働いています。
    Dさんは言います。「恥ずかしい話だが、発病して最初のころは泣いてばかりいた。でもそんな生活を送っていてもしようがない、生きているうちはなんとか生きていかなくてはいけない、と考えを切り替えた。初めは行き場所があるというだけで十分に思えたが、今は自分のことだけでなく、若い人に伝えてゆくことを考えている。その中で、教えるだけでなく、逆に教わることもある。もらえるお金はわずかだが、介護保険ではお金を払わなければならない。お金をもらってリハビリしているつもりでいる」。
    今では、施設の説明会や見学者の対応なども担当してくださるなど、持ち前の営業マン精神が復活しているようです。

    車椅子に乗ったDさんが、大勢の前で自信をもってお話ししている様子

    イラスト協力@愛知淑徳大学 交流文化学部 福﨑 里彩 さん

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  • ファッションショーに出演~新たな自分を発見~

    2016年4月7日 自立・活動・交流
    Aさん 20代 脳性まひ

       Aさんは、特別支援学校卒業後、生活介護(生産活動なし)の利用を開始され創作活動等に取り組まれていました。Aさんは、どちらかというと人見知りタイプで、自分の思いを伝えることもあまり得意ではありませんでした。そんなAさんを、いつもご家族が心配してフォローしていました。

    特に初めての人と向き合う時には緊張してしまい、自分の思いを伝えることに時間がかかりました。

       そんなAさんに、脳損傷ケアリング・コミュニティ学会(脳損傷者や関係者でつくる学会※http://caring.co-site.jp/index.html)のファッションショーにモデルとして出演してはどうかとの話しが舞い込みました。当初は迷っていたAさんでしたが、周りからの後押しもあり出演することになりました。

    このファッションショーは、当事者が自ら着たい服を着て主役になることを実現することを目的としていました。そのため本格的なモデルとして、洋服もオーダーメイドで作成していただけ、スタイリストさんやヘアーデザイナーさんもつくことになりました。そして、みんなで良いステージを作ろうと何度か打ち合わせがありました。しかし最初の打ち合わせで、Aさんは緊張してなかなか自分の好きな服や希望を伝えられずにいました。またいつも洋服を家族に選んでもらっていたため、自分の好みや今どんな洋服が流行っているのかを知る機会もなかったことがわかりました。そこでまず、自分の服を自分で選んで買ってくるというミッションがAさんに与えられました。

       その後、Aさんは、自ら好きな洋服を買うために出かけました。そして自分の目で色々な洋服を見て、好きな洋服を着てくるようになりました。その後の打ち合わせでは、自分の気持ちを相手に少しづつ伝えられるようになりました。ファッションショーに着る洋服も、ドラゴンズが好きだからという理由でブルーを選択しました。また、髪型も変えることになりました。ファッションショーに着る洋服については、家族と意見が分かれることもありましたが、Aさんは自らの意思を貫きました。ファッションショーの当日は、朝早くから準備に追われました。いよいよ出演という段になりAさんの表情はみるみる青白くなりました。まわりで見ていた家族や関係者は、大丈夫だろうかと心配しつつもAさんを見守り、応援しました。また、名身連第一ワークス・第一デイサービス生活介護の他の利用者さんも、職員と一緒にバスで応援にかけつけました。

       いよいよファッションショーが始まりました。それまで緊張していたAさんが、音楽と同時に堂々と舞台に上がりました。そしてなんと舞台に向かってポーズを決めたのです。会場では、「Aさんカッコいい」という声や拍手があちこちで起こりました。このファッションショーを機会に、自分に自信がつき以前よりも活発に意欲的に取り組むようになったAさん。その後作業活動にも興味を示され、現在では作業にも取り組むようになりました。

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