名身連物語

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  • お雛様にこめられた思い~短い青春を精一杯駆け抜けたEさん

    2017年2月20日 その他
    Eさん 元名身連利用者 享年20代 女性 脳性まひ
    お雛様にこめられた思い~短い青春を精一杯駆け抜けたEさん

    3月3日が近づくと毎年、名身連福祉センター(中村区)の玄関前にきれいなお雛様が飾られます。この時期になると誰もがうっとりとみとれるお雛様です。このお雛様を名身連に寄贈してくださったのは、名身連第二ワークス・第二デイサービス(旧名身連第二ワークス)の今は亡きご利用者Eさんのご家族です。
    Eさんは、平成6年に特別支援学校を卒業後、名身連第二ワークスを利用してくださっていました。最初は特別支援学校在学中に第二ワークスで施設実習を行い、そのなかで学校時代にできること、卒業後に目指すことを定めて、ご利用が始まりました。

    在学中のEさんの傍らには、いつもお母さんが付き添っていました。けれども第二ワークスのような施設は学校とは違うところです。これからは一人の大人として自覚をもってやっていくことを目標にしたEさんは、オリエンテーションや実習に一人で参加して頑張りました。むしろお母さんのほうがEさんを心配してオロオロしていたくらいです。そんな心配をよそにEさんは立派に実習をやり遂げ、卒業後に正式に第二ワークスを利用することになりました。


    ショートカットでやせた背の高い女の子(ブレザーの制服着用)の横にお母さん(少し丸顔でメガネをかけている)がいて、お母さんは心配そうな顔をしている

    第二ワークスに通い始めたばかりのEさんは、仕事の経験がまったくないうえ、年上の人たちと関わるのも初めてでした。特別支援学校では、学生数もそれほど多くないので、気心の知れた友人や先生たちに囲まれて過ごしていました。自分から何か頼んだり伝えたりしなくても、気持ちを察して手をさしのべてくれる人がいたのです。けれども新しい環境や人間関係のなかでは、自分から声を出して伝え、人との関係を築いてゆかなければなりません。ゆくゆくは地域の中で生活するともなれば、なおさらそのような機会も増えていきます。
    そんな変化に少し戸惑うこともあったEさんでしたが、あるとき、施設のなかでコップを洗う役割を引き受けることになりました。みんなが使ったあとの湯のみコップを集め、消毒薬で消毒して並べるという仕事でした。それだけではありません。消毒薬が減ったら自分から職員に伝え、付き添ってもらって買いに行きました。買い物に行ったら、お金とレシートを確認することも身につきました。この役割を担うことでEさんは少しずつ自信をつけ、積極的になりました。

    Eさんがニコニコとコップを洗う様子
     

    Eさんはスポーツでも活躍しました。学生時代に名東区の障害者スポーツセンターで水泳をしていたEさんは、第二ワークスで自信がついたこともあり、障害者スポーツの全国大会出場に向けた選考会にチャレンジし、みごと出場権を得たばかりか、本大会ではメダルまで獲得することができました。
    仲良しのボーイフレンドもできて、休みの日にはみんなでカラオケに行って楽しむことも。Eさんはいつも笑顔で、仕事もプライベートも充実し、生き生きとした毎日を過ごしていました。

    ボーイフレンドや友人と楽しく語らっている様子
     

    その日もEさんは、いつもどおりに第二ワークスに来て、作業や担当していた役割を終え帰宅しました。家に戻ったEさんを、いつものようにお母さんが出迎えました。しかし、Eさんの様子は少し違っていました。お母さんの顔を見てホッとしたのか、そのまま倒れてしまったのです。すぐに救急車で運ばれ入院しましたが、危篤状態でした。そのことを聞いた施設の職員や友人たちは、ついさっきまで元気だったEさんの姿を思い出すと信じられず、心配で胸がつぶれる思いでした。
    早く元気に戻ってきてほしいというみんなの祈りもむなしく、数日後にEさんは短い人生の幕を閉じました。彼女の葬儀には、第二ワークスの利用者や職員をはじめ、たくさんの人が参列しました。しかもその多くがEさん本人に関わりのあった人たちで、ご両親もEさんの交流の広さに改めて驚いたそうです。

    お葬式の様子
     

    Eさんが亡くなった後、ご家族から「短い人生だったけれど、精一杯に生きた人生だった。娘は第二ワークスが大好きだったので、いつまで第二ワークスにいられるように」と、お雛様寄贈のお申し出がありました。それが福祉センターに飾られるお雛様なのです。
    時は流れ、今ではEさんのことを知っている人も少なくなりましたが、お雛様はいつもやさしいお顔で第二ワークスを見守ってくれています。Eさんのお母さんも、年賀状印刷の時期にはいつも、多くの印刷の注文をとりまとめて下さり、第二ワークスのために尽力して下さっています。
    もしあなたが、名身連福祉センターのお雛様を見る機会があれば、精一杯生きたEさんというご利用者がいたこと、そして彼女がいつまでも見守ってくれていることに思いをはせていただけると幸いです。

    福祉センターに毎年飾るEさんのお雛様の画像
     

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  • 行き倒れニャンコの恩返し~名身連招き猫シリーズ誕生秘話~

    2016年9月18日 その他
    名身連招き猫 恩返し
    行き倒れニャンコの恩返し~名身連招き猫シリーズ誕生秘話~

    ちょっと昔のお話です。まだ今の名身連第一ワークス・第一デイサービスが、「第一ワークス」と呼ばれていたころのこと。冬なのにそんなに寒くない日でした。夕方、利用者さんの送迎から戻った職員Iさんが入ってくるなり、「所長、第一ワークスの庭に猫が死んでいて…。片付けますね」と言いました。

    びっくりして、「えっ!と、とにかくお願いします…」。なんで第一ワークスに猫の死体が、と戸惑っていましたら、外に出たIさんがやせた白い猫を抱いてまた事務所に戻ってきたのです。「死んでいると思ったら、生きていました!」


          職員Iさん(めがねをかけた中年のおじさん60代、瘦せ型)が白くやせた猫をつれてきて、女性職員が取り巻いている様子

    たちまち事務所にいた職員が、Iさんと白猫を取り巻くように集まりました。猫好きなHさんがお水や食べ物を与えて様子をみていますと、猫はお腹が空いていたのか、水をペロペロなめ、えさもガツガツと食べ始めました。それからしばらく第一ワークスで面倒をみることとなり、「行き倒れニャンコ」は利用者さんにも懐いてすっかり人気者になりました。数日もたつとすっかり元気になったので、今度は里親探し。縁あって名身連の関係機関の方に里親になっていただくことができ、名残惜しくも行き倒れニャンコはもらわれていきました。

          やさしそうな女性の里親さんに抱かれた白い猫。見送る名身連の職員の様子

    こんなことがあって間もなく、私たちは招き猫のデザインに出会ったのです。それまで猫のモチーフにさほど興味のなかった職員も、行き倒れニャンコがなつかしくて胸がきゅんとしたのかもしれません。そしてみんなでこの招き猫を自主製品のデザインにしていこうと心が動き自主製品の開発をスタートさせました。

          招き猫のデザインに胸がキュンとしている職員Iさん(めがねをかけたぽっちゃりした男性40代)や女性職員
    イラスト協力@愛知淑徳大学 メディアプロデュース学部メディアプロデュース学科2年 笠原 礼子 さん


    そのときから、名身連第一ワークス・第一デイサービスでは、招き猫デザインの手ぬぐいを素材にオリジナル製品を作って売るようになりました。バッグやポーチなど、バリエーション豊かな「招き猫シリーズ」は、名身連の定番人気商品に成長し、みなさんにたくさんお買い上げいただけるようになりました。思い返すと、あのとき行き倒れニャンコに出会わなかったら、「招き猫シリーズ」のヒットは無かったような気がするのです。それはあの子がくれた「猫との出会い」という恩返しだったのかもしれません。

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